私がブログを始めたわけ
2014-01-18


2本目のエントリでは、どうしてブログを始めることにしたか、綴っていくことにしましょうか。

いや、話せば簡単なことなんですがね。私がかつて編集部員として在籍していたオーディオベーシックというオーディオ雑誌がありました(共同通信社・刊)。いろいろ紆余曲折はありましたが、1970年代の前半に創刊された別冊FMfanという名門オーディオ雑誌の系譜を引く本です。

別冊FMfanの頃は毎号、故・長岡鉄男氏のスピーカー工作とこちらも先年亡くなられた上杉佳郎氏ほかによるアンプや便利グッズ類の自作記事が載っていました。同時期に連載されていたオーディオアクセサリー誌(音元出版・刊)の「長岡鉄男のワンダーランド」にも長岡氏はよく工作記事を掲載されていて、慢性的に金のなかった学生時分の私はいつも両誌の新刊が出揃ったところでどちらか記事の面白い方を購入する、ということをやっていたものです。

その後、1980年代の末頃に別冊FMfanはAV FRONTという名前のオーディオビジュアル雑誌へ模様替えをします。当初こそ別冊時代の面影を色濃く残した作風でしたが同誌はどんどん"本格的"オーディオビジュアル雑誌へ進んでいき、それとともに工作記事は見る影もなく減っていってしまいました。

その頃は専らFMfan本誌でスピーカー工作記事を掲載していましたが、いくら「業界一マニアックなFM雑誌」と呼ばれたFMfanでもそこはオーディオ雑誌ならぬ身、頑張っても獲得ページにはおのずと限界があり、年に2〜3作が限界です。

でも、別冊から本誌へ引き継いで連綿とシリーズ掲載を続けた長岡氏の鳥型バックロードホーンは1992年のスーパースワン、そして97年のモアというオーディオ史に残る傑作を生みましたから、それなりに誇っていい成果だったと思っています。

そうこうしているうちに、1992年でAV FRONTは廃刊されてしまいました。そしてしばらく間を置き、特別編集のムック本扱いではじめてのオーディオを出すことによって共同通信社はオーディオ雑誌を復刊、半年後にオーディオベーシックという誌名で本格的にオーディオ・ジャーナリズムへ復帰します。

初代編集長は「はじめてのオーディオ」から「オーディオベーシック」を創刊するに当たって、「日本のオーディオ雑誌はマニアックな記事や高額の機器をレポートしたページは多いが、ビギナーに優しいものが少ない。どうせ新しく始めるならわれわれは若い人へ向けた"入り口"を目指そう。うちから"卒業"していく読者がいてもそれはかまわないじゃないか」という方針を掲げました。誌名にもその志が表れていますね。その使命感は大切なものでしたし、当時FMfanに在籍していた私も大いに共感したものでした。

しかし、そういう方針になると、とりわけマニアックな自作記事が減少してしまうのはもう致し方がありません。当時の編集担当にしても頑張っていたとは思いますが、スピーカー工作は「時折思い出したように掲載されるスポット記事」以上にはなりませんでした。

その後オーディオベーシックも編集長が代々替わり、組織の変更もあって、当初の方向性とは徐々に違う雑誌へと変貌していきました。「お前もちょっと手伝え」と私も引っ張られ、FMfanと2足の草鞋を履いていたこともあります。

ちょうどのその時期に当時の編集長代理へ承認を受け、私がオーディオベーシックでも長岡氏にお願いをして工作記事を製作し始めました。続いてオーディオ諸国漫遊記という読者訪問を、さらにディスク・フラッシュという高音質ソフトのレビュー・ページも開始、何のことはない、かつて長岡氏が別冊FMfanで連載されていた「自分で作ってみるページ」「長岡鉄男のオーディオ・クリニック」「外盤ジャーナル」を復刻したみたいなものなんですがね。

それで1998〜2000年頃のオーディオベーシックは結構活気があったのではないかと思うのですが、そんな体制を固めたところで突然長岡氏が亡くなられてしまったものですからもう大変でした。


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